被災地・山田町へ...

2011年08月15日00時12分 月曜日

山田町大浦

お盆休みを利用し、親父の実家のある山田町大浦にお墓参りに行ってきました。
山田町も津波の被害を大きく受けていて、見慣れた街並みは跡形もなく流され無残な姿になっていました。

左の写真は、親父の実家がある大浦地区です。
雑草が生えている空き地は、津波が来る前には家が建っていた土地です。
子供の頃にお菓子を買った商店も流されていました。

幸い俺の親族は軽自動車を一台流されただけで、命と家は大丈夫でしたが、いたる所に仮設住宅が建てられていて、見るからに不自由そうな生活を強いられているようでした。
パッと見ですが、仮設住宅にも種類があり、言い方はアレですが当たり外れがあるように感じました。

  • 山田町船越
  • 山田町小谷鳥

上の左の写真は、海と鯨の科学館と言う施設の近くです。
ここは半島の付け根に当たる所ですが、津波が陸地を横断したらしいです。
その為、メインとなる科学館以外の建物は壊滅状態で、大量のガレキ置き場になっていました。
海水浴場の後ろにあった松並木も数本を残し全て無くなっていました。

右の写真は小谷鳥と言われる地区の写真です。
堤防が決壊してひっくり返っていました。
道路も破壊され砂利道になっていました。
静岡県と言う服を着た人が写真を撮っていました。
東南海地震に備えた視察かな。

被災地を初めて自分の目で見て驚いたのが、さほど衝撃を受けなかった自分かもしれません。
テレビやネットでいろんな衝撃的な映像を見ていたからか、建物が流された跡地に雑草が生え、見様によっては始めから空き地だったかの様にも見えてしまったからなのか、ひょっとしたら深層心理では「しょせん他人ごと」だと思ってしまっているのか...。
理由はよく分かりませんが、脳天にズキンと来る様なショックは受けませんでした。

こんな事言うと怒られちゃうだろうけど、多分そう感じるのは俺だけじゃないと思うよ。
復興がゴールだとすれば、まだ1%も先に進んでいない状況だとは思うけど、ハッキリって感覚が麻痺してきてるんだと思う。

これは非常にヨロシクない。
こうやって風化して行くんだと思う。
このままじゃ募金やボランティアなどの支援も減って行く一方だと思う。
なんとかして日本だけじゃなく、世界中にまだまだ支援は必要なんだよとアピールしないと駄目だと思う。
日本の政治家は政争しか頭に無い無能な連中の集まりだから期待薄。
どうすりゃ良いんだろうね。
俺、阿呆だから分からんわ。

とりあえず、今回撮った写真を載っけとく。
少しでも「綺麗だな」と思ったら、今は時期早朝だけど、もうちょっと復興が進んだら三陸に遊びに来てお金を落としてくださいな。
小さな事からコツコツと。
きっと復興のお手伝いになると思いますよ。

  • 山田湾
  • MINIと山田湾
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